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中井貴一の父と母はどんな人?二世俳優としての家族構成を徹底調査

日本を代表する演技派俳優として、映画やドラマで幅広い役柄をこなしてきた中井貴一さん。その高い演技力とダンディな雰囲気で多くのファンに愛されている中井さんですが、実は昭和を代表する名優を父に持つ二世俳優です。
今回は、中井貴一さんのご両親や家族構成について詳しくご紹介します。

目次

中井貴一の父は誰?昭和を代表する名俳優

中井貴一さんの父親は、佐田啓二さんという俳優でした。佐田啓二さんは、1946年に松竹大船撮影所に入社し、戦後の日本映画界を代表するスターとして活躍した人物です。高橋貞二さん、鶴田浩二さんとともに「松竹戦後の三羽烏」と呼ばれ、若い頃から注目を集めていました。

佐田啓二さんの名を不動のものにした作品が、1953年に公開された映画『君の名は』です。岸恵子さんと共演したこの恋愛映画は、当時の大人気ラジオドラマを映画化したもので、「銭湯から女湯が空になる」と言われるほどの社会現象を巻き起こしました。佐田さんはこの作品で、トップスターとしての地位を確立します。

佐田啓二さんは、木下惠介監督や小津安二郎監督の作品にも数多く出演しました。小津監督とは特に深い関係にあり、『彼岸花』『お早よう』『秋日和』『秋刀魚の味』といった名作で演技を披露しています。佐田さんは小津監督を父のように慕っており、小津監督が亡くなった際には子供のように号泣したというエピソードが残っています。

父・佐田啓二の死因と中井貴一への影響

幸せな家庭を築いていた佐田啓二さんですが、1964年8月17日、37歳という若さで突然この世を去ってしまいます。

夏休みを家族と過ごすため、長野県の蓼科高原にある別荘に滞在していた佐田さん。NHKドラマ『虹の設計』の収録に参加するため東京へ戻る途中、山梨県韮崎市で乗っていた車が事故を起こしました。運転手が前の車を追い越そうとした際に横滑りし、橋の柱に激突したのです。佐田さんは頭蓋骨と右腕を骨折する重傷を負い、病院に搬送されましたが、事故から約5時間後に息を引き取りました。

この時、長女の中井貴恵さんは7歳、そして中井貴一さんはわずか2歳11か月でした。中井貴一さんには、父親との思い出がほとんどありません。「男の子は父親の後ろ姿を見て育つと言うが、僕には父親の後ろ姿がなかった」と、後年インタビューで語っています。

父親の早すぎる死は、中井貴一さんの人生に大きな影響を与えました。大学時代、俳優になることなど考えていなかった中井さんですが、父の17回忌の法要で映画監督の松林宗恵さんにスカウトされたことがきっかけで、俳優の道へと進みます。スカウトを断るつもりでいたものの、最終的になぜか「イエス」と答えてしまったそうです。中井さんはこの時のことを「父に背中を押された感覚だった」と表現しており、「俺がやれなかった役を代わりにやってくれ」と父から言われているような気がして俳優を続けてきた、と明かしています。

また、中井貴一さんは父親が亡くなった37歳という年齢を人生の区切りと考えていました。父の年齢を超えるまでは結婚しないと決めており、実際に39歳の誕生日に結婚しています。「自分の子供ができて、自分と同じ思いをさせたくない。家族を残したくない」という思いから、このルールを自分に課しているそうです。

中井貴一の母はどんな人物?

中井貴一さんの母親は、中井益子(旧姓:杉戸益子)さんという方です。1928年生まれで、身長170センチという当時の女性としては非常に背の高い方でした。

益子さんは、松竹大船撮影所の近くにあった食堂「月ヶ瀬」の看板娘として働いていました。この食堂には映画監督の小津安二郎さんをはじめ、多くの映画関係者が集まっており、気立ての良い益子さんは小津監督から大変可愛がられていたそうです。

佐田啓二さんと益子さんの出会いもこの食堂でした。二人とも京都出身で京都弁を話すことから意気投合し、10年間の交際を経て1957年に結婚します。結婚式では、小津安二郎監督と木下惠介監督が仲人を務めました。中井貴一さんの「貴一」という名前も、小津安二郎監督が命名したものです。

母親との関係性やエピソード

1964年に夫の佐田啓二さんを亡くした益子さんは、貯金を切り崩しながら女手ひとつで二人の子供を育てました。当時、長女の貴恵さんは7歳、長男の貴一さんは2歳という幼い年齢でしたが、益子さんは二人とも大学まで進学させたのです。

中井貴一さんは母親について「本当に厳しい母でした」と振り返っています。番組で「DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に臨戦態勢でした」と語り、「父の分もという意識が強かったのでしょう」と続けました(フジテレビ)。

経済的にも決して楽ではなかったようで、中井貴一さんは実家の暮らしについて「収入がなく生活は本当に質素でした。洋服もどんどん買ってもらえる訳ではなく、欲しいものを我慢するのは当然と思ってました」と語っています。しかし、「親父がいなく甘えられないことが僕のプラスになっていた」とも述べており、母親の厳しい教育が今の自分を作ったと感じているようです(livedoornews)。

益子さんは、父親の死因について運転手を責めることなく、「運命だった」とだけ語っていたそうです。辛いことがあると人のせいにしてしまいがちですが、子供の前ではそれをしなかったというエピソードから、芯の強い女性だったことが分かります。

そんな益子さんは2016年に87歳で亡くなりました。母の死の直前、病室で号泣した中井貴一さんは、思わず「1回だけ頭撫でてくれよ」とお願いしたそうです。幼少期から父・佐田啓二を背負ってきた中井さんだからこそ、母に認めてもらいたかったのでしょう。頭を撫でてもらったことで「これからも背負い続けられる」と、今後の覚悟を語っています。

中井貴一は二世俳優としてどう評価されてきた?

二枚目スターとして名高い父を持つ中井貴一さんは、デビュー当初から父と比較されることが多かったようです。
母からは「パパの方が何倍も二枚目だったわよ」と言われ、仕事先でも「お父さんは二枚目だったのにねぇ…」と何回も言われ、「心が折れそうになった」とトーク番組で明かしています(スポーツ報知)。

しかし、中井貴一さんは自らの演技力で着実にキャリアを積み上げていきました。1981年の映画『連合艦隊』でデビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。1983年には大ヒットドラマ『ふぞろいの林檎たち』で人気を博し、1988年にはNHK大河ドラマ『武田信玄』で主演を務めました。この大河ドラマは平均視聴率39.2%、最高視聴率49.2%という驚異的な数字を記録し、中井さんは名実ともにトップスターの仲間入りを果たします。

その後も、映画『壬生義士伝』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、数々の賞を受賞してきました。コミカルな役から重厚な役まで幅広くこなす演技力は、今や「父を超えた」と評価する声も多く聞かれます

中井貴一の家族構成まとめ

中井貴一さんの家族構成は、父・佐田啓二さん、母・中井益子さん、姉・中井貴恵さん、そして中井貴一さんの4人家族です。

姉の中井貴恵さんは、1957年生まれで中井貴一さんより4歳年上です。早稲田大学在学中に映画『女王蜂』でデビューし、女優として活躍しましたが、1987年に一般男性と結婚したのを機に女優業は休業。現在は「大人と子供のための読みきかせの会」を主宰し、絵本の朗読活動を行っています。エッセイストとしても活動しており、父・佐田啓二さんについての著書『父の贈りもの』なども出版しています。

興味深いことに、中井貴一さんは「仕事では姉と共演したくない」という姿勢で、同じドラマに出演した際にも共演シーンがなかったというエピソードがあります。

中井貴一の父と母はどんな人?二世俳優としての家族構成を徹底調査|まとめ

この記事では俳優・中井貴一さんの父と母がどんな人だったのか、家族構成や兄弟について解説しました。

リサーチして分かったことをまとめておきましょう。

  • 中井貴一さんの父・佐田啓二さんは、昭和を代表する名優として『君の名は』などの作品で活躍しましたが、37歳という若さで交通事故により他界しました。
  • 母・中井益子さんは、女手ひとつで二人の子供を大学まで育て上げた強い女性でした。
  • 2歳で父を亡くした中井貴一さんは、「父の後ろ姿を見たい」という思いから俳優の道へ進み、自らの演技力で二世俳優というレッテルを超えて、日本を代表する名優へと成長しました。厳しくも愛情深い母親の教育、そして早くに亡くなった父親の存在が、今の中井貴一さんを作り上げたのです。

姉の中井貴恵さんも女優・エッセイストとして活躍し、それぞれの道で輝く中井家の姉弟。天国のご両親も、立派に成長した二人の姿を誇らしく見守っていることでしょう。

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