
1980年代の女子プロレス界を席巻した「極悪女王」ダンプ松本さん。金髪にペイント、凶器を使った激しいファイトスタイルで、日本中から憎まれながらも愛された伝説的なヒールレスラーです。
2024年にはNetflixドラマ『極悪女王』で再び注目を集めましたが、現在の健康状態や過去の病気の噂について気になる方も多いのではないでしょうか。
今回はダンプ松本さんの現在の様子を紹介します。
ダンプ松本は現在は病気なの?
ダンプ松本さんの「病気」として長年公表しているのは、パチンコ依存症です。練習生だった19歳のときに初めてパチンコをして、ビギナーズラックで所持金300円が9000円になったことがきっかけで、パチンコの虜になってしまいました。
ダンプ松本がパチンコ依存症😰#世界仰天ニュース pic.twitter.com/TfzUzvSVBL
— こばまさ (@kobamasa_1) November 13, 2018
現役時代から試合の合間にパチンコへ通い、27歳で引退してからは時間に余裕ができたことでさらに通うようになりました。


多いときには1日で15万円を超える金額を使い、月に100万円負けることもあったといいます。トータルでは都心の高級マンションが購入できるほどの金額をパチンコに費やしてきたそうです。
しかし、50歳頃から虚しさを強く感じるようになり、パチンコをやめては戻ることを80回ほど繰り返した末、51歳のときについに克服しました。パチンコの軍資金として用意した10万円でみんなと食事をした際、まったくストレスを感じなかったことが転機となったそうです。
パチンコ依存症以外でも現在は定期的にかかりつけの病院で検査を受けており、ご自身のブログでは血液検査の結果が異常なしであることを報告しています。
ダンプ松本は入院したことがあった?
2025年5月には、急性膿胸という病気で入院していたことが明らかになりました。5月16日から23日までの約1週間の入院でしたが、5月25日に開催された自主興行「極悪祭」には強い意志で復帰を果たしています。この病気は、数か月前から膝への負担を軽減するために行っていたダイエットによる急激な体重減少で免疫力が低下したことが原因とされています。

入院中には、かつてのライバルであった長与千種さんが病院まで見舞いに訪れ、試合の欠場を勧めましたが、ダンプ松本さんは「まだリングに立ちたい」という思いで復帰を選んだそうです。

ダンプ松本は余命を宣告されたの?

2016年に放送されたテレビ番組『主治医が見つかる診療所』で人間ドックを受診した際、ダンプ松本さんは出血性脳梗塞と診断され、余命3年を宣告されていました。この診断は多くのファンに衝撃を与えました。
出血性脳梗塞の原因として考えられたのは、大量の飲酒による脱水症状でした。ダンプ松本さんは大のビール好きで、多いときには1晩でビール6.5リットルを飲んでいたといいます。さらに、試合後のビールを美味しく飲むために試合前に水分補給をしないという習慣があり、試合で大量に汗を流すことで脱水症状を引き起こしていました。
しかし、この宣告から8年以上が経過した現在も、ダンプ松本さんは元気に活動を続けています。生活習慣の改善が功を奏したと考えられ、定期的な検査でも異常は見つかっていません。
ダンプ松本の全盛期の若い頃の画像や動画はある?

ダンプ松本さんの全盛期は1984年から1988年までの約4年間です。この時期の画像や動画は、ご本人の公式Instagram(@dumpmatsumoto)やブログ「世界制覇 極悪同盟ダンプ松本」で見ることができます。


1984年の年明けにリングネームを「ダンプ松本」と改名し、髪を金色に染め上げ、顔面に派手なペイントを施すスタイルを確立しました。クレーン・ユウ(ブル中野)らと共にヒールタッグチーム『極悪同盟』を結成し、クラッシュギャルズとの抗争で女子プロレスブームを巻き起こしました。

特に有名なのが、1985年8月28日に大阪城ホールで開催された長与千種との「敗者髪切りデスマッチ」です。この試合でダンプ松本さんが長与千種さんの髪を切ったシーンは、女子プロレス史に残る伝説的な瞬間として語り継がれています。試合後には500〜600人のファンが極悪同盟のバスを取り囲み、「ダンプ出てこい!」と罵声を浴びせる事態になったそうです。
10・9大阪城ホール。女子プロレスの初進出は1985年8月だった。今でも語れる敗者髪切りマッチ、長与千種vs ダンプ松本。この試合の反響は大きく、関西テレビが放送を打ち切ったほどだ。オンナが髪の毛を切るという過酷な現実。スターダムのPPV解説ゲストにはその長与千種が出演します。お楽しみに! pic.twitter.com/IlTZTYAfJz
— ロッシー小川 Rossy Ogawa (@rossyogawa) October 3, 2021
また、2024年9月にはNetflixドラマシリーズ『極悪女王』が配信され、ゆりやんレトリィバァさんがダンプ松本役を熱演しました。このドラマでは全盛期の姿が再現されており、当時の激しいファイトスタイルや悪役としての迫力を見ることができます。

ダンプ松本の経歴
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 松本 香(まつもと かおる) |
| リングネーム | ダンプ松本 |
| 生年月日 | 1960年11月11日 |
| 年齢 | 65歳(2025年12月現在) |
| 出身地 | 埼玉県熊谷市 |
| 身長 | 164cm |
| 体重 | 100kg |
| 血液型 | B型 |
| 所属 | えりオフィス |
| デビュー | 1980年 |
| 引退 | 1988年(1度目)、2003年に復帰 |
| 結婚歴 | 独身 |
| 主な実績 | 第4代全日本女子シングル王者、極悪同盟リーダー |
ダンプ松本さんは1980年、19歳のときに全日本女子プロレスに入門しました。本名は松本香で、埼玉県熊谷市出身です。母親を楽にさせたいという一心で、早くお金を稼ぐためにプロレスラーの道を選んだそうです。デビュー5年目には新築の家を購入して母親にプレゼントしています。父親とは約50年間口を利きませんでしたが、2019年8月に父親が亡くなる直前、入院中に和解することができました。
当初は「松本香」のリングネームで活動していましたが、1984年にリングネームを「ダンプ松本」に改名し、金髪とペイント、革ジャンを取り入れた悪役キャラクターを確立しました。同年には極悪同盟を結成し、一斗缶やフォーク、竹刀などの凶器を使った激しいファイトスタイルでクラッシュギャルズと対決しました。
全盛期の年収は5000〜6000万円にも達し、1試合当たりのギャラは3万5千円、タイトル戦に勝利すると100〜200万円を手にしていたそうです。平均月収は100万〜300万円で、芸能活動も加わると月収500万円に達することもありました。
1988年2月28日、地元である熊谷市体育館で引退試合を行いました。引退後は「クラッシュギャルズのファンの皆さん、今までチーちゃん(長与)やトンちゃん(飛鳥)のことをいじめてすいませんでした」と号泣しながら謝罪し、多くの人々を感動させました。
引退後はタレント活動を開始し、大森ゆかりさんとユニット「桃色豚隊(ピンクトントン)」を結成するなど、明るく愉快なキャラクターで芸能界でも活躍しました。2003年には15年ぶりにプロレス界に復帰し、2006年からは自主興行「極悪祭り」を不定期で開催しています。
ダンプ松本は現在は病気?全盛期や若い頃の画像に余命の噂についても|まとめ
今回はプロレス界の「極悪女王」ことダンプ松本さんについて、現在の様子や病気・余命の噂、さらには全盛期の若い頃の画像やこれまでの活躍について紹介しました。
リサーチして分かったことをまとめておきましょう。
- ダンプ松本さんは現在、特に重い病気はなく元気に活動を続けています。過去にパチンコ依存症に32年間苦しみましたが、51歳のときに克服に成功しました。2016年には余命3年を宣告される出血性脳梗塞と診断されましたが、生活習慣を改善し、その期間を大幅に超えて健康を維持しています。
- 2025年5月には急性膿胸で1週間入院しましたが、すぐに復帰を果たしました。現在65歳となったダンプ松本さんですが、「生涯現役」を掲げ、2003年の復帰以降も精力的にプロレス活動を続けています。
- 全盛期の1984年から1988年までは、金髪にペイント、凶器を使った激しいファイトスタイルで「日本中から嫌われた最恐のヒール」として女子プロレスブームを牽引しました。当時の画像や動画は公式SNSやNetflixドラマ『極悪女王』で見ることができます。
リング上では恐ろしい悪役でしたが、リング外では涙もろく面倒見の良い性格で、後輩たちから慕われています。母親を楽にさせたいという純粋な思いから始まったプロレス人生は、今も多くのファンに感動と勇気を与え続けています。
