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大森南朋の母【小林桃枝】はダダ!父や兄に画像も調査

俳優として確かな存在感を放つ大森南朋さん。『ハゲタカ』や『私の家政夫ナギサさん』などで圧倒的な演技力を見せてきた大森さんですが、そのルーツには個性的な家族の存在がありました。
今回は、大森南朋さんのお母様である小林桃枝さんを中心に、ご家族について詳しくご紹介していきます。

目次

大森南朋の母【小林桃枝】は「風月堂の女王ダダ」の画像はある?

大森南朋さんのお母様である小林桃枝さんは、一般の方でありながら1960年代の新宿では伝説的な存在として知られていました。東京都新宿区にかつて存在した名曲喫茶「風月堂」という場所で、「女王ダダ」という愛称で親しまれていたのです

風月堂は1946年にオープンしたクラシックレコードを楽しむ喫茶店で、戦後の新宿文化を象徴する場所でした。岡本太郎さんや寺山修司さんなど、多くの文化人や芸術家が集う社交場として機能していたそうです。1973年に惜しまれながら閉店するまで、新宿カルチャーの中心地として多くの若者たちに愛されていました。

小林桃枝さんは風月堂の常連客として通ううち、その美しい容姿と独特の存在感から「風月堂の女王」と呼ばれるようになります。女優や歌手に間違えられることもあったほどの美貌の持ち主だったといいます。

「ダダ」という愛称の由来は、ウルトラマンのキャラクターとは関係ありません。実は芸術運動の「ダダイズム」から来ているのです。
ダダイズムは既成の秩序や常識を否定する前衛芸術運動のこと。小林桃枝さんの常識にとらわれない自由な生き方やファッションが、まさにその精神を体現していたことから名付けられたそうです。

画像については、個人のブログなどで1989年頃にインド雑貨店を経営していた時期の写真や、1991年にベトナム旅行へ行った際の写真が公開されています。2019年の画像も一部で確認されており、当時75歳前後でありながらお元気な様子が伝えられています

大森南朋の母【小林桃枝】は生きている?

小林桃枝さんは1945年7月生まれとされており、2025年現在で80歳前後になります。旦那さん(大森南朋さんのお父様)の麿赤兒さんより2歳年下です。

現在の小林桃枝さんについて、亡くなったという報道は一切出ていません。2022年にNHKで放送された『ファミリーヒストリー』で大森南朋さんの家族について取り上げられた際は、母親の小林桃枝さんについて紹介されましたが、ご本人は番組には登場しませんでした。

長野県松本市出身の小林桃枝さんは、高校2年で中退後、実家を出て友人宅を転々とする生活を送っていました。当時は義理の母との関係がうまくいかず、自由な空気を求めて新宿へやってきたそうです。そこで風月堂と出会い、人生が大きく動き出すことになります。

結婚後は新宿で「ダダ」というバーを経営し、生計を立てながら女手一つで息子二人を育て上げました。その後もインド雑貨店を経営するなど、常に自分らしい生き方を貫いてきた女性です。

大森南朋の父【麿赤兒】の読み方は?

大森南朋さんのお父様のお名前は「麿赤兒」と書いて「まろ あかじ」と読みます。一度見たら忘れられないユニークな名前ですよね。

麿赤兒さんの本名は「大森宏(おおもり ひろし)」といい、「麿赤兒」は芸名です。1943年2月23日生まれで、石川県金沢市のご出身です。

この独特な芸名の由来について、麿赤兒さんご本人によると、唐十郎さんが主宰する劇団「状況劇場」に参加していた際に付けられたものだそうです。芸名に込められた意味については諸説ありますが、前衛的な舞踏の世界観を表現する名前として選ばれたといいます。

麿赤兒さんは俳優としてだけでなく、舞踏家、演出家としても国際的に高い評価を得ています。1972年には暗黒舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げし、現在も主宰として活動を続けています。舞踏を「BUTOH」として世界に広め、文化庁長官表彰や芸術祭賞大賞など数々の賞を受賞しています。

俳優としては、その圧倒的な存在感と独特の雰囲気で、ヤクザや殺し屋など強烈な印象を残す役柄を数多く演じてきました。出演時間は短くても、確実に視聴者の記憶に残る演技は唯一無二のものです。

大森南朋の父【麿赤兒】は生きている?

麿赤兒さんは1943年2月23日生まれで、2025年現在82歳です。そして現在も現役バリバリで活躍されています

2025年にもドラマ『ひとりでしにたい』に出演されるなど、80歳を超えた今も精力的に俳優業を続けています。また、映画『怪獣ヤロウ!』や『闇の中の魑魅魍魎』など、複数の作品に出演しています。

舞踏家としての活動も健在で、大駱駝艦は2022年に創立50周年を迎えました。この記念すべき節目には、長男の大森立嗣さん、次男の大森南朋さんとの親子対談も実現し、家族の絆を深めています。

2025年1月には、世界的歌姫マドンナが大駱駝艦の公演を鑑賞に訪れ、舞台衣装姿の麿赤兒さんとのツーショット写真がSNSで話題になりました。大森南朋さんが「父親が『年末にマドンナが来てよぉ』って。雑な嘘ついてんなぁって思ってたら本当だった」とコメントし、大きな反響を呼びました。

小林桃枝さんと麿赤兒さんは、大森南朋さんや兄の立嗣さんが幼い頃に離婚しています。麿赤兒さんは舞踏家として全国を回る仕事に没頭し、ほとんど家に帰らない生活を送っていたため、すれ違いが生じたようです。離婚後は小林桃枝さんが女手一つで二人の息子を育て上げました。

大森南朋の兄はどんな人?

大森南朋さんのお兄様は、映画監督の大森立嗣(おおもり たつし)さんです。1970年9月4日生まれで、南朋さんより2歳年上になります。

大森立嗣さんは、父親が表現の世界で活躍していたこともあり、高校生までは逆に表現活動を避けて野球や空手に打ち込んでいたそうです。しかし大学で偶然入った映画サークルがきっかけで映画の道へ進むことになりました。

2005年に『ゲルマニウムの夜』で監督デビューを果たし、国内外の映画祭で高い評価を受けます。その後も『まほろ駅前多田便利軒』(2011年)、『さよなら渓谷』(2013年)、『日日是好日』(2018年)、『MOTHER マザー』(2020年)など、数々の話題作を手がけてきました。

特に『日日是好日』では第43回報知映画賞の監督賞を受賞し、同年カンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得した是枝裕和監督を1票差で抑えての受賞という快挙を成し遂げました。

興味深いのは、大森立嗣さんが監督を務めた作品に、弟の大森南朋さんと父の麿赤兒さんが出演する親子共演が実現していることです。『まほろ駅前多田便利軒』では、南朋さんが近所のお弁当屋の店主役、麿赤兒さんが常連客役で出演しました。この作品をはじめ、『ゲルマニウムの夜』『さよなら渓谷』『まほろ駅前狂騒曲』『グッバイ・クルエル・ワールド』など、立嗣さんの監督作品に南朋さんは繰り返し出演しています。

撮影現場では、大森南朋さんは兄の立嗣さんに対して敬語で話しているそうです。プライベートでは「切っても切れない関係」としつつも、仕事とプライベートはしっかり区別する真面目な一面が窺えますね。

兄の立嗣さんは、両親について「オヤジもおふくろも、いわゆる常識みたいなものとか、善悪とか、そういうものでモノを見ないというところが、南朋にも影響あるんじゃないかな」と語っています。常識にとらわれない自由な家庭環境が、二人の芸術家を育てたのかもしれませんね。

大森南朋の母【小林桃枝】はダダ!父や兄に画像も調査|まとめ

今回は「女王ダダ」の俗称をもつ、大森南朋さんの母・小林桃枝さんの画像や現在の様子のほか、父や兄の経歴に、お父様の名前の読み方や活動状況(ご存命か?)について調査しました。

リサーチして分かったことをまとめておきましょう。

  • 母の小林桃枝さんは、1960年代の新宿で「風月堂の女王ダダ」として知られた伝説的な存在。常識にとらわれない自由な生き方で、多くの文化人に愛されました。現在80歳前後と思われますが、お元気に過ごしていると考えられます。
  • 母の小林桃枝さんは、1960年代の新宿で「風月堂の女王ダダ」として知られた伝説的な存在。常識にとらわれない自由な生き方で、多くの文化人に愛されました。現在80歳前後と思われますが、お元気に過ごしていると考えられます。
  • 兄の大森立嗣さんは、数々の賞を受賞する実力派の映画監督。弟の南朋さんや父の麿赤兒さんを自身の作品に起用し、親子共演を実現させています。

常識にとらわれず、それぞれが自分らしい表現を追求してきた家族。その環境で育った大森南朋さんが、独自の存在感を放つ俳優として活躍しているのも納得です。
芸術家一家として、それぞれの分野で輝き続ける大森家。これからもそれぞれの活躍から目が離せませんね。

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