
俳優として数多くの作品に出演し、爽やかなルックスで人気を集める赤楚衛二さん。「仮面ライダービルド」や「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」など、話題作への出演で一躍注目の的となりました。そんな赤楚衛二さんですが、実は家族全員が才能豊かなエリート一家だということをご存知でしょうか。
今回は、赤楚衛二さんの父親や本名、学歴、そして家族について詳しくご紹介します。
赤楚衛二の父はどんな人?

赤楚衛二さんの父親は、赤楚治之(あかそ なおゆき)さんといいます。1959年11月7日生まれで、大阪府守口市の出身です。治之さんは言語学の研究者として長年活躍しており、英語学を専門としています。
現在、治之さんは名古屋学院大学の第13代学長を務めています。2020年4月に学長に就任し、2022年の学長選挙でも再選され、現在2期目として大学を牽引しています。
家庭では勉強に関して非常に厳しく、息子の赤楚衛二さんが小学5年生の頃には家庭内で「あほんだら塾」を開き、毎日3時間みっちり勉強を教えていたというエピソードがあります。当時、赤楚衛二さんに方程式を教えた際に「できない」と言われて叱ったこともあったそうです。

勉強一辺倒の父親というわけではありません。週末には公園でキャッチボールをしたり、仮面ライダーごっこを一緒に楽しんだりと、優しい一面も持ち合わせています。実は治之さん自身が仮面ライダーシリーズの大ファンで、赤楚衛二さんも幼少期から父親と一緒にシリーズ作品を観ていたそうです。
また、吉川晃司さんの大ファンでもあり、子供の頃から赤楚衛二さんと一緒にライブ映像をよく観ていたというエピソードもあります。2020年に赤楚衛二さんが吉川さんとドラマで共演した際には、父親に報告したところ「撮影現場の場所を教えてくれ」と頼まれ、「さすがに父親は連れていけない」と断ったそうです。
赤楚衛二の父の学歴は?
赤楚治之さんの学歴は非常に優秀です。同志社大学大学院の文学研究科英文学専攻博士課程前期を修了した後、アメリカのウィスコンシン州立大学マディソン校の言語学大学院で修士課程を修了しています。
ウィスコンシン州立大学マディソン校は21名ものノーベル賞受賞者を輩出している世界有数の名門大学です。そこで言語学の専門知識をさらに深めた治之さんは、まさに国際派の研究者といえるでしょう。
赤楚衛二の父はどんな職業なの?
治之さんは1989年に名古屋学院大学外国語学部の専任講師として教鞭をとり始め、1999年には同外国語学部の教授に就任しました。その後、外国語学部長、大学院外国語学研究科長、学生部長を歴任し、2020年4月に名古屋学院大学の学長に就任しています。

教授としての治之さんは、学生を楽しませるユーモアを交えた講義スタイルで人気があったそうです。赤楚衛二さんは父親の大学の授業を見学した際、「すごいオヤジギャグを言って生徒を楽しませていたので、家と全く違ってびっくりした」と語っています。
赤楚衛二さんが俳優の道を志した際、治之さんは本当は息子に英語の先生や言語学の分野に進んでほしいと考えていたようです。しかし、赤楚衛二さんが「東京の事務所に入ります」と宣言した時には、「やりたいことを見つけたならいい」と息子の選択を尊重してくれたそうです。
赤楚衛二の本名はどんな名前?
赤楚衛二さんの本名については公式に発表していませんが、デビュー当初は「赤楚衛(あかそ まもる)」という名前で活動していました。

後述するテレビ番組内でのエピソードを踏まえても、名字の「赤楚」は確実に本名です。父親の赤楚治之さんが公人として活動していることから、この名字は間違いありません。
赤楚衛二さん自身、バラエティ番組で「赤楚」のアクセントは「あ」にあり、「”あ”かそ」と発音すると説明していました。そして番組レギュラーのハリセンボン近藤春菜さんに「ということは本名?」と聞かれた際には「本名です」と答えています。
10代の頃、名古屋のモデル事務所FORM JAPANに所属していた赤楚衛二さんは、「赤楚衛(あかそ まもる)」の名前で活動していました。2010年には名古屋の男性グループ「IKEMEN☆NAGOYA」(後に「BOYS AND MEN」に名称変更)に加入し、舞台やバラエティ番組に出演していました。
2014年にトライストーン・エンタテイメントに所属し、2015年1月15日より「赤楚衛二」という現在の芸名で俳優として活動を開始しました。芸名変更の理由については公式な発表はありませんが、本格的な俳優業への挑戦に際して、より親しみやすい響きの名前にしたのではないかと考えられています。
赤楚衛二の学歴は?
赤楚衛二の出身中学はどこ?
赤楚衛二さんは中学受験を経て名古屋市内の私立中学校に入学しましたが、具体的な学校名は公表していません。その後、名古屋市立藤森中学校に転校した可能性が指摘されています。

小中学校時代の赤楚衛二さんは、非常にわんぱくな少年だったのだとか。好奇心が旺盛で、思い立ったらすぐに行動するタイプだったそうで、「ここから飛び降りたらどうなるんだろう?」と考えて階段の一番上からジャンプし、結果的にケガをしてしまったこともあったそうです。そのため、しばしば両親や先生に叱られていたといいます。
赤楚衛二さんは3歳から中学生まで母親からピアノを習っており、さらに水泳、剣道、公文、英会話など、複数の習い事を掛け持ちしていました。両親が非常に教育熱心だったことがうかがえます。
赤楚衛二の出身高校はどこ?
赤楚衛二さんの出身高校は、愛知県名古屋市にある私立東邦高等学校です。東邦高校は春5回、夏1回の甲子園全国大会優勝を誇る野球の名門校として知られています。

高校時代の赤楚衛二さんは、明るく社交的な性格で多くの友人と楽しい時間を過ごしていました。本人も「高校生の頃が一番イケてた」と振り返っており、目立ちたがり屋でみんなを楽しませたい気持ちが強く、少しとがったところもあったそうです。文化祭では赤楚衛二さんと写真を撮るために女子生徒が行列を作るほど人気があったといいます。
高校ではテニスの魅力に惹かれてテニス部に入部しましたが、アルバイトが忙しくなり両立が難しくなったため、半年でテニスを辞めることになりました。アルバイトでは商品の搬入などの肉体労働を行っていたそうです。
ちなみに、東邦高校は俳優の山田裕貴さんの出身校でもあり、赤楚衛二さんは山田さんの後輩にあたります。
赤楚衛二は大学を中退しているの?
赤楚衛二さんは父親が当時教授を務めていた名古屋学院大学外国語学部英米語学科に進学しました。親子で同じキャンパスにいた時期があったということです。父親の講義を受けたこともあったそうで、大学での父親と家庭での父親のギャップに驚いたといいます。
しかし、赤楚衛二さんは大学2年生の時に中退しています。2013年にサマンサタバサのメンズモデルオーディションでグランプリを受賞したことがきっかけで、東京の芸能事務所入りを決意し上京したためです。

当時の心境について、赤楚衛二さんは「両親が教師なので、すごく厳しい家庭で。そんな中で、僕は『これがやりたい』とイレギュラーな方に走ったので。今の事務所とご縁がなかったら、たぶん就職していたと思います。大学1年生ぐらいまでは、ほぼ(俳優への道を)あきらめかけていて」と語っています(スポニチ)。
赤楚衛二のいとこはどんな人?
赤楚衛二さんのいとこは、作詞作曲家の中村瑛彦(なかむら あきひこ)さんです。中村瑛彦さんは1992年2月14日生まれで、大阪府出身。赤楚衛二さんより2歳年上にあたります。
中村瑛彦さんは5歳からピアノを習い、12歳でギターを始め、14歳で作曲を始めたという音楽の才能豊かな人物です。16歳の春にシンガーソングライター「中村瑛彦」として初ライブを行い、その5ヶ月後には10代のアーティストのみによるロックフェス「閃光ライオット2008」への出場を果たしています。
2012年にはシンガーソングライターとしての活動を休止し、作詞・作曲家としての道を歩み始めました。現在は表舞台から離れていますが、数々の有名アーティストに楽曲を提供しています。
中村瑛彦さんが作詞・作曲・編曲を手がけた主な楽曲には以下のようなものがあります。
- なにわ男子「なにわの男子やねん!」(作詞・作曲・編曲)
- Hey!Say!JUMP「我 I Need You」(作詞・作曲)
- AKB48「アクシデント中」(作曲)
- 井上苑子「ナツコイ」(共同制作)
2016年にリリースされた井上苑子さんとの共同制作曲「ナツコイ」は、YouTubeで再生回数がすぐに1400万回を超えるほどの人気を集めました。
赤楚衛二さんは2018年3月に自身のTwitterで「上京した従姉妹と初めて会った。いとこだから話せる事もあって、血の繋がりの大切さを知りました。笑 感慨深い」と投稿しており、いとこの存在を大切にしていることがうかがえます。
上京した従姉妹と初めて会った。
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) March 8, 2017
いとこだから話せる事もあって、血の繋がりの大切さを知りました。笑
感慨深い。
赤楚衛二さんと中村瑛彦さんが従兄弟関係にあることは、正式に公表されているわけではありません。しかし、中村瑛彦さん側の情報や報道、SNSでのファンの投稿などから、血縁関係にある可能性が高いと言われています。
赤楚衛二の弟はどんな人?
赤楚衛二さんには4歳年下の弟、赤楚周平さんがいます。赤楚衛二さんが2017年にTwitterで「今日は弟の誕生日。もう二十歳だって、感慨深い。改めて感じる時の流れの速さ。今日も頑張るぞぃ」と投稿していることから、弟の周平さんは1997年生まれであることがわかります。
今日は弟の誕生日。
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) August 7, 2017
もう二十歳だって、
感慨深い。
改めて感じる時の流れの速さ。
今日も頑張るぞぃ。
周平さんは大阪芸術大学を卒業し、現在はCGクリエイターとして活動しています。大学時代には「東京国際プロジェクションマッピングアワード Vol.2」に大阪芸術大学チーム「駄菓子屋ph8.0」のメンバーとして参加していました。
また、2018年にはテレビアニメ「ピアノの森」の第1シリーズ第2話「ショパンを弾くために」でCGの制作に携わっていました。大学在籍時から将来の夢のために頑張っていたことがわかります。

赤楚衛二さんと弟の周平さんの仲はとても良く、SNSでは幼い頃の2人の写真や、兄弟の微笑ましいエピソードが投稿されています。
2017年5月には、赤楚衛二さんが「久々に弟と長電話しました。元気にしてるらしいので安心。大学生の自主制作映画『ウルトラユウスケ』アグレッサー星人役をやったらしい。小さい頃ヒーローごっこして、いつも怪獣役をやらせてた甲斐がありましたね(笑) 謂わゆる英才教育と言うやつです」と投稿しています。
久々に弟と長電話しました。
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) May 7, 2017
元気にしてるらしいので安心、
大学生の自主制作映画「ウルトラユウスケ」アグレッサー星人役をやったらしい。
小さい頃ヒーローごっこして、いつも怪獣役をやらせてた甲斐がありましたね(笑)
謂わゆる英才教育と言うやつです。
また、2018年3月には弟の写真とともに「弟がクウガになりきってる。。感慨深いなぁ。。それにしてもこの歳でBOYLONDONっておしゃれか。笑」と投稿し、兄弟の仲の良さを感じさせるエピソードを披露しています。
弟がクウガになりきってる。。
— 赤楚衛二 (@akasoeiji) March 13, 2018
感慨深いなぁ。。
それにしてもこの歳でBOYLONDONっておしゃれか。笑 pic.twitter.com/L2GwfBOMEt
赤楚衛二さんは弟がイケメンだと話題になったこともあり、兄弟揃って整った顔立ちをしているようです。
赤楚衛二の父は誰?本名や大学など学歴・いとこや弟についても|まとめ
今回は大人気若手俳優の赤楚衛二さんについて、その父がどんな人なのか、いとこや弟のほか、本名や大学などの学歴についても紹介しました。
リサーチして分かったことをまとめておきましょう。
- 赤楚衛二さんの父親は名古屋学院大学の学長を務める言語学者の赤楚治之さんで、母親はピアノ講師の赤楚早苗さん、弟の周平さんはCGクリエイター、そしていとこの中村瑛彦さんは作詞作曲家という、まさに才能あふれるエリート一家です。
- 赤楚衛二さんの本名は「赤楚衛(あかそ まもる)」である可能性が高く、「赤楚」という名字は戦国時代から続く由緒正しい姓です。
- 学歴は名古屋市内の私立中学校から東邦高等学校を経て、名古屋学院大学外国語学部英米語学科に進学しましたが、大学2年生の時に俳優の道を志して中退しています。
厳格ながらも息子の夢を応援する父親、ピアノの才能を持つ母親、そしてCGクリエイターとして活躍する弟。家族それぞれが個性と実力を持ちながら、支え合い輝きを増している姿が印象的です。
そんな素晴らしい家族に支えられながら、赤楚衛二さんは俳優として着実にキャリアを積み重ねています。これからも赤楚衛二さんの活躍から目が離せませんね。
